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    kou.ta が書いた、何かの再利用だったりするショートノベルとかです。お暇な方はどうぞ。

 



[ 2008 / 03 / 09 ] update

 

 

 よく父と公園で競走をした事を思い出した。子供相手でも決して手を抜かず、必ず大差で私に勝つ父は、走り終えるとこちらを振り返った。「ここまで来い」と笑っていた。
「お父さんはね、空の上に行っちゃったのよ」
 火葬場の駐車場で、母は空を見上げながら私に言った。
 まだ死ぬという意味を理解できない幼い私が思ったのは、どうやって上ったのだろうか、という素朴な疑問だった。幾ら見上げても、空へと向かう道など無い。
 翌日、空へと向かう道を探そうと町中を走り回った。ただ、父に会いたいという感情が私の中を支配していた。けれど、そんなものは何処にも見つからない。見つかる筈が無い。見つからないまま日が暮れ、諦めて家路に着いた。「ここまで来い」という父の声が聴こえる事は無かった。
 夕飯時にその事を話すと、普段は剽軽な母が私を抱きしめながら静かに泣いた。
「もう、お父さんには会えないのよ……」
 その時、母の掠れた声を聞き、初めて死というものを理解できた気がした。
 その後、変わらずに毎日を過ごした。母子家庭となってしまったものの、変わらずに明るく居続けてくれた母のおかげか、自分の境遇を不幸に感じた事は一度も無かった。
 大学受験を控えていたある日、何気なく開いた新聞の一面広告に目が留まった。
 十年ぶりとなる一般公募からの宇宙飛行士候補の募集だった。
 そこから、空へと向かう道が続いていた。
「ここまで来い」
 父の声が聴こえた気がして、胸が高鳴った。
 進路を変更して工学系の大学に進み、それからの毎日は必死だった。とても険しいその道を、足掻きながら進んだ。辛くもあったが、父と競走をしている様に思え、楽しくもあった。博士号を取得し、その後も基礎体力のトレーニングをしながら研究を続けた。気がつけば父が亡くなった当時の歳を超え、三度目の挑戦でついにその日は訪れた。
 記者会見の場で、一人の記者が手を挙げて発言した。
「皆さんが宇宙飛行士を目指された動機を教えてください」
 私の番になって、マイクを受け取る。
「父に、会いに行こうと思ったんです」
 その言葉に会場が静まり返る。
 構わずにマイクを隣に渡す事で終えると、回りくどいジョークだと認識した数名の記者から笑い声が聴こえた。
 今頃、テレビで中継を観ている母も別の意味で笑っている事だろう。